「まず、宇宙全体をきちんとするなんてことはできないと認めること」 「そうして二番目は、それでもほんの小さな領域を、まさにそうあるべき状態にするということ。粘土の塊とか、四角いキャンバスとか、紙切れとか、そうしたものを」
https://gyazo.com/0a5bea08ced454933e8741be98bd6cb1
自分にとっての粘土の塊とか、四角いキャンバスとか、紙切れとか、そうしたものってのはこのブラウザの中のナニカだとおもった そして localhost ではない URL は世界だけど、localhost はどうにかなる。そういうローカル観
一部自分のローカルとも言える URL もあるが
そもそもインターネットに限らず自分という存在でさえ画一的というか統合的というか、1コのノードというよりはたくさんのノードがあってそいつらがスパゲティ状に絡み合ったのが自分という感覚がある 昼飯どうしよっかなーって時に焼肉の気分の自分もいれば寿司の気分の自分もいる
時間的にも断片化されている
過去の自分の書いた文章をどういう感情や意図を込めていたかなぞ簡単に忘れてしまうのでもはや他人の書いた文章である
つまるところ、自分という存在すら断片のつぎはぎなのかもしれない
でもこの編みあげることで分断を縫合できるのかというと、それはちょっとロマンチックすぎるのかなあとおもった